2017年12月29日金曜日

奇跡の指先。





今日はネイルサロンへ、人差し指と親指のカラー修正に行った。

この赤のグラデーションをネイリストさんに施してもらいながら
ふと、この美しい色に染まるまでの
これまでの私の経緯を思い返していた。

私の手、指。
表現は荒々しいですが、数十年間、憎くて大嫌いで何度も呪った。


今年の一月に、ハイヒールの哲学の扉を叩き、
美しくも厳しい世界に飛び込み、様々な経験をさせて頂けた。
美しく歩くことはもちろん、美しさへの表現もまた、開花させて頂いた。

歩き方、間の取り方、目線、ヘアスタイル等、、、
沢山ありましたが、中でも私の人生を大きく変えたと言っても過言ではないのが
指先のネイル。

今では多くの女性が、ネイルサロンへ足を運び、楽しんでいる。
私もその一人ですが、ここに来るまでに長い苦難の道のりがある。

私は幼少のころから、爪がたいへん弱く、二枚爪が日常茶飯事の状態。
おまけに、男性のように手や指、特に指の関節が太くて大きく
人前に手を出すことが、とっても嫌で仕方なかった。

中学の頃、雑誌に掲載されていた、とある花火師のごつごつした原寸大の手が
まるで自分の手とそっくりで
一緒に見ていた友達と、冗談交じりで「これ、(私の手と)おんなじだねー」と
顔で笑って、心で泣いた。

以来、自分の手を見ては気分が下がるばかり。


たまに頑張って、マニキュアを塗っても
薄い弱い爪のため、時間が経てば直ぐに剥がれてしまう。

更に、私は皮膚も弱く、主婦湿疹で痒みもあり
出産後の約7年間は相当、苦しめられた。
皮膚科に通ってはステロイドなどの同じような薬をもらって
一進一退の日々。
そのうちに、ハンドクリームを塗る程度にケアは留まった。

本当に自分の指が手が嫌でたまらなく、何度も手首から切って離れてしまいたい。
と思い、私は一生、この手指で生き、最期を迎えるのか、、と
本気でため息をついては、諦めていた。

そんな中、ある日asami先生から
「赤のネイルをつけてみてください。」とエネルギーを高めさせる意味も込めて
提案がなされた。
正直、手は最大と言っても過言ではない、コンプレックスなので
たじろいたのですが、
「はい。」と、ゴクリと喉の奥で飲み込んでから、
思い切って翌日、ドラックストアで赤のマニキュアを購入した。

赤のマニキュアを塗ったあと、確かに心が弾んだ。

色の持つエネルギーは、思っていたよりも心に影響し
しかし、人前に出すことには恥ずかしさが勝って、
とても抵抗感もありました。

慣れてくれば、次第に大丈夫になり、その後は頑張って眠たいのを我慢して
夜遅くに、慣れない手つきで塗り続けた。

そんなある日、先生がふと、あるお話の中で「ジェルネイル」と言った。
レッスン後に気になって、ネットで調べると、
爪の弱い方でも、続ければ少しずつ、強くなる。という体験談を目にした。

「これは、、。」と、可能性を感じ、早速調べてすぐに予約をした。

生まれて初めてのジェルネイル。

フットとハンドをお願いし、どきどきしながら待つこと1時間。
ワンカラーとオフもないため、あっという間に仕上がった。

その時の大きな衝撃を今でも忘れない。

あの見るだけで嫌な指先が、美しく艶めいている。

30年以上、私を苦しませたあの指先、爪が
美しく深い赤に染まり
自分でしばし、信じられない気持ちで眺めていた。

もっと早くジェルネイルの存在を知っていれば、、、
諦めずに、何か方法はないか、探し出すという姿勢を持とう。

帰りの運転中、強くハンドルを握り締めながら、そう思った。


それから、ジェルネイルよりパラジェルのほうが
弱い爪の人には、自爪を削らないため、
結果的に爪がだんだん強くなるということがわかり
今では、定期的にパラジェルを施して頂いている。

今ではすっかり、私の中ではなくてはならない赤のネイル。

一年前にはあり得なかった、この指先。

asami先生の勧め、そして美の技術発展、ネイリストさん達。

様々なものの御蔭さまで、今、心から自分の手を、指を愛することが出来た。

私にとってはとても大きな奇跡。
ハイヒールの哲学を学んでいなければ、こんな愛おしい気持ちは生まれてこない。

余談ですが、自分の手指に愛着を持てるようになったのか
主婦湿疹もだんだんと減ってゆき、気になりません。
これは不思議な感覚です。 愛着というエネルギーが良い薬なのかもしれません。

今日も私個人の独り言となりましたが
これからは、何にしても諦めずに、
リサーチしたり、ピンとくるものは即、試す行動を取ってみる。

ネイルのことで、また学びを頂けました。


こんな奇跡に、愛と感謝を込めて。  凜



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